発症から救急搬送まで
- 日時:2025年9月6日(土)22時ごろ
- 場所:自宅
その日は土曜日で、日中は仕事があり、会社で一人作業をしていました。
帰宅後、いつものように晩酌をしながら夕食をとっていた最中のことです。
お酒をすべて飲み終えた頃、突然、身体が揺れるような感覚に襲われました。
椅子に座っていられなくなり、そのまま食卓のテーブルに倒れ込んでしまいました。
意識はあり、当時のことは今でもはっきり覚えています。
異変に気づいた妻がすぐに救急車を呼び、私は脳神経外科病院の
SCU(Stroke Care Unit:脳卒中集中治療室)へ救急搬送されました。
発症が自宅に戻ってからだったこと、また家族がすぐそばにいたことは、
今思えば不幸中の幸いだったと感じています。
病院で告げられたこと
救急搬送後、医師から説明を受けました。
私は以前、テレビで脳梗塞のカテーテル手術について知っていたため、
「できるならすぐに手術をしてほしい」と、強く訴え続けていたのをよく覚えています。
しかし、救急担当医からは
「詰まっているのが非常に細い血管で、カテーテル手術の適応にはならない」
という説明を受けました。
脳梗塞は早期搬送が重要だと聞いていただけに、
これだけ早く救急車で運ばれたにもかかわらず、
手術ができないという現実を受け入れることができませんでした。
その日の身体の状態
右半身の麻痺
救急搬送された直後は、わずかに自分で身体を動かせていたように思います。
しかし、その日の夜から右手・右足の動きが急激に悪くなり、
翌日には完全に右半身が麻痺した状態になりました。
言葉の出にくさ
搬送直後、診断後の説明の場では、妻に向かって
「大丈夫だ」といった言葉を発した記憶があります。
ところがその夜から呂律が回らなくなり、
自分の思うように話せないことに気づかされました。
感覚の異常
救急搬送の翌日か、その後だったと思います。
ベッドの上で、自分の力では起き上がれない身体になっていることを
はっきりと自覚しました。
できたこと・できなかったこと
救急搬送直後は、自分でできることはほとんどありませんでした。
翌日からは車椅子を使い、トイレなどの移動も
看護師さんに介助してもらう状態でした。
嚥下障害もあり、食事はおかゆと、
柔らかくしたスープ状のおかずが中心となりました。
精神的な状態
発症から1か月ほどは、精神的な落ち込みはそれほど強くありませんでした。
しかし、2か月ほど経った頃から、徐々に不安や混乱が強くなっていきました。
同じ脳梗塞の患者さんと話すだけで、
気づけばもらい泣きをしてしまうことがありました。
少し前まで普通に歩き、両手を使い、
不自由なく話していた自分。
それが一変し、救急搬送され、入院し、
これが「現実」なのだと突きつけられると、
涙が止まらなくなることが何度もありました。
面会に来てくれた家族、親戚、仕事仲間の顔を見るだけで、
感情が抑えられず、涙があふれてしまうこともありました。
一番悔しく、残念だったのは、
早く救急搬送されたにもかかわらず、
カテーテル手術ができない場所に血管の詰まりがあったことです。
ただ、もうこうなってしまった以上、
現実から目を背けても仕方がありません。
これ以上悪化させないこと、
主治医の指示を守り、治療とリハビリに専念し、
一日でも早く退院することに気持ちを切り替えるしかありませんでした。
自営で小さな会社を経営していたため、
突然「12月までで仕事もやめて長期休業する」と伝えなければならなかったことは、
スタッフの皆さんに大きな心配と迷惑をかけてしまいました。
本当に申し訳なかったと、今でも思っています。
そのとき正直に思ったこと
救急搬送後、診断を受けた直後、
医師から妻と私にカテーテル手術についての説明がありました。
その時点では、まだMRI検査の前だったと思います。
当日の夜中、何度かMRI検査に向かった記憶があります。
その間も私は、看護師さんに
「手術ができるよう、先生に伝えてほしい」
と何度も訴え続けていました。
しかし最終的には、
該当する血管がカテーテル手術の基準となる太さではないという判断が下され、
手術は断念せざるを得ませんでした。
